大きな星空に潤いを

思いの丈(たけ)を綴る場所

運命的な五叉路 一つに繋がり続いて行く



嵐が好きで好きで好きでたまらない。この気持ちすらも愛おしくて、自分が嵐を好きだという証拠を残すように、今文字を打っている。嵐のことを好きな自分のために、この気持ちがずっと残るように。風化して色褪せていかないように。


嵐が活動休止してから気付けば10ヶ月も経ってしまった。
メンバー各々の活躍はもちろんある。それに、もちろん自分の心の中には、嵐の存在がずっと在る。ただ自分の日常の一部から"今を生きている嵐"がいなくなった。毎週のレギュラー番組がない、新曲発表もない、コンサートもない。リアルタイムを生きる嵐がいないという非日常は、いつのまにか日常になってしまった。


日常になった、と言いながらも時折嵐の存在を思い出しては泣くことも幾度かあった。寂しさ?悲しさ?切なさ?説明するにはなんとなく全部違う。泣くときはいつも、コロナのせいで見られなかった夢のつづきを、嵐が描こうとしていた夢を、探しているときだったかもしれない。


活動休止をする事実は変わらなくても、コロナがなければ嵐は世界中の色んな場所で、歓声を全身に浴びて、キラキラの5色の光の海の中心に立っていたはずだ。
感謝を伝えた2019年の次は、挑戦の2020年になるはずだった。翔ちゃんの言う「未だかつて誰も見たことない、まだ見ぬ世界」を見るはずだったのだ。


一部不完全燃焼で在るが故なのか、あるいは嵐の存在を感じていたいのか。無意識下で嵐の面影を、嵐が描くはずだった夢のつづきを、ずっと探しながら過ごしていた気がする。

気付けばジャニーズとも嵐とも全く関係のないアーティストの有観客のライブ映像を見るだけで、「嵐にもこの景色をもう一度見て欲しかった」など思うようになってしまっていた。昨年の大晦日にきちんとさよならまたねと伝えたはずなのに。その都度ダメなファンでごめんと肩を落とした。




ところでディズニーやUSJの世界観に入ったときにパレードや、非現実・非日常的な夢のような空間を目にしたときあまりの多幸感で涙が出る経験がみんなにもあるだろうか。
こういう経験ある?みたいな話はなかなか他人としないのでこの現象がメジャーなのかマイナーなのかわからないのだが、私自身はよくある。
夢の世界の多幸感に触れて、感動と喜びと煌めきに胸が震える。その情緒が涙となって出てきてしまう。
このブログの中でも何度も夢という単語を出しているが、私にとってこの場における"夢"という言葉の解釈は上記のニュアンスである。


そして、そんなわたしが嵐のエンターテイメントに触れるたびに必ず言ってしまうのが「まるでディズニー」という感想だ。言葉にするとすごく簡単ではあるが。

嵐は、私にとって夢の世界、いやむしろ夢そのものなのだ。
非日常的で、ファンタジーで、眩しくて、現実を忘れられて、アイドルとしてのコンサートとはまた別にエンタメ、パフォーマンスとしての『SHOW』っぽさがある。楽しくて、幸せで、幸せすぎて涙が出る。そんな夢のような嵐のエンタメが本当に大好きだった。本当に夢ならば、醒めたくなかった。
ずっと安定して見続けてきた夢が、突然不安定なものになること。そして、そこにいるのが当たり前だった嵐の存在が活動休止になることで自分の中で揺らいで掴みづらくなることも想像すると怖くて不安だった。
嵐を見たくなっても過去の嵐しかいなくて、寂しさが募る。その瞬間に、活動休止していることをより実感するのだ。



寂しいとか会いたいとかそんなネガティブな気持ちも胸に、観に行った映画。

泣いてしまうのは予想していたが、観終わった後は少しだけ前を向いていた。


リアルタイムを生きる嵐ではないけれど、ファンに囲まれて歌って踊る一番見たかった嵐を見たことで、活動休止しているはずの嵐がどこかで活動しているような感覚になれたこと。
あとは夢のつづきを探し続けていた自分の気持ちが少しだけ報われたように思えること。『さあ、映画館で夢のつづきを始めよう。』その言葉の通り、他の誰でもない嵐自身で見たかった夢のつづきを見られた。


割れんばかりの黄色い歓声を浴びる嵐を見て、ペンライトの海に囲まれる嵐を見て、C&Rをしている嵐を見て、たくさん泣いた。それと同時に、いつになるかわからないけど、いつか帰ってくる嵐をちゃんと待っていよう、という決意もできた。
日舞台挨拶にて、大野さん以外の4人が壇上に上がったこともきっと大きい。大野さんはもちろんいないけれど、彼からのお手紙は元気であることを想像できるものだったし、5人でご飯食べにも行ってるようだし、なおかつ4人が集まったときに雰囲気が"嵐"であったこと。本当は大野さんにもその場にいて欲しいけど、それでも4人でもめちゃくちゃ嵐だった。活動休止前と何も変わらない、嵐の空気が流れていた。それを見てすごく安心した。



活動休止している嵐がこれからどうなるのか誰にもわからないけど、もう一度ペンライトの海の中で黄色い歓声を浴びる嵐を見るまでは絶対に生きていようと思った。
叶えられていない夢のつづきを必ず見届けたいなと思う。



そのために、嵐を守り続けよう。
いつか来るその時まで、風を送り続けたい。