大きな星空に潤いを

思いの丈(たけ)を綴る場所

それでも生活はつづく

4月からヨガを始めた。

ヨガはヨガでも、サウナの石のようなものを使って暖かい部屋の中で行う"ホットヨガ"である。仕事をしている時は時間も余裕も体力もなく「やってみたい」という気持ちだけが宙ぶらりんになっており、ニンジンを目の前に吊り下げられた馬のような感覚だったのだが(やりたいけど届かない)、仕事を辞める直前に仲良しの同僚が「ヨガ興味ある?」と声をかけてくれたことでやっとニンジンヨガを掴み取ることができた。


始めたと言っても月4回コースなので頻繁に行っているわけではない。しかし、汗をかける環境、そして誰に気を使うでもなく自分の世界に入り込み体を動かすことのできる環境にはやはりお金を払う価値があると毎回思わされる。
初めは入会金等々で「こんなに取られるのか…私無職になるのに…」と無職ネガティブモード(今名付けた)に陥りそうになったが、ヨガで体を動かし汗をかいた後は気分もスッキリして身体も軽くなるため、終わった後はいつも清々しい気持ちで帰宅している。


温かいスタジオで行うので、汗かきの私は入ってストレッチを軽くするだけで首筋に汗が流れ始める。インストラクターの先生の呼びかけで、胸の前で合掌して挨拶をしたらレッスンが始まる。まだまだ初心者だが、少しずつ慣れてきた。自分の頭の中にある全ての雑念と別れを告げながら、呼吸と自分の動きだけに集中する。
汗だくになりながら1時間のレッスンが終わる頃、マットの上で仰向けになり瞼を閉じてクールダウンをする。照明も全て切り、真っ暗闇になるためこれがなんとも心地いい時間なのである。


目を開けても、閉じても真っ暗。いつもは閉じるのだが、今回はあえて目を開けたまま天井を見つめてみた。目の前の真っ暗な天井は、瞬きをしない間にさらにじわじわと真っ黒になっていくことに気がついた。目の仕組みについてはよくわからないが、中学の頃に習った暗順応明順応の類だろうか。瞳孔が何かしらの動きをして真っ暗闇に順応していこうとしているのか、とにかく真っ黒の視界になっていく。(別に気を失いかけてるわけではない)


瞬きをするとリセットされるのだが、瞬きさえしなければ扉から微かに漏れる外の明かりまでも真っ黒に染まっていく。瞬きを極限まで我慢して視界の全てを真っ黒にするゲームを自分の中で遂行しながら(もしかしてこれは雑念…)ふと、真っ黒が視界をじわじわ覆い尽くしていく様子が、自分が落ち込んだときどんどん心が闇に包まれていく感覚と似ている、と思った。





落ち込む時は大体誰かと比べてへこむ。比べる対象は友達だったり、誰かよく知らないFF外のTwitterの人だったり、身近で言えば姉だったり。あとは自分の中にいる"客観的に物事を見る自分"だったりする。一体なんなんだそれはと自分でも疑問に思うが、でもまあ言葉にするとこんな感じなのだ。
私は周りの目をすごく気にする性格だ。だから自分の中で好き勝手に"周りの目"を作り上げ「こんな風に見られている」「きっとこう思われている」とものすごく極端で主観な考え方であるのに客観的な視点だと決めつけ、自分自身を戒めたり省みたりする。ああ、簡単に言えば「被害妄想」か。自己肯定感が低いともいうかもしれない。


呆れるニュースや、理解不能で思わずため息がでるようなニュースを見ては「暇かよ」で一蹴するが、この"暇"というのは有り余りすぎると本当に毒である。暇に毒されすぎると落ち込んだり、悪い方向にしか考えられなくなるため、自分の日々の目的を作ってはいるが、やはりそれでも暇はやってくる。自分と向き合うための時間にできればいいのだが、こういった時は必ず"将来に対する漠然とした不安"が顔を覗かせるのだ。そうするとそれに付随する形で、自己肯定感も低くなっていく。
何がしたいかも明確に決まっていない、将来への不安。学生のうちに通るであろう感情を、遅れて味わっている。前職への夢を抱いていた頃は「この道しかない」と思って…いやむしろ「この道しか見てこなかったから、この道を行く他ない」と思っていた部分もあるが、私の道はほとんど一本だった。大学の時一社だけ一般企業の面接を受けたことはあるが、その時に生半可な気持ちで受けていたことを見抜かれ、やっぱり私はこの道しかないな、と再確認したこともある。


仕事を辞めて、色々考えていく中で、ふいに前職と同じところで働いてもいいなと思う瞬間は無いわけではない。だが、またあの日々がやってくるのかと考えると憂鬱な気分になる。その都度、どんな仕事がしたいのかではなく、どんな生活をしたいのかを見直している。一生ものの資格のため、別に今活かさなくてもこれから先キャリアを積めることも考えれば、別の道を歩んでみたいとも思うが、いかんせん「穏やかに働きたい」ばかりでどんな仕事がしたいのか、それは一つも検討がつかない。
推しもいるので課金するためのお金を稼ぎたい。いや、荒稼ぎしたいわけではない。端的に言えば収入がほしい。せっかく頑張って大学の頃からせっせと貯めてきた貯金を切り崩すのは絶対に嫌なのでそろそろ本腰を上げる準備を…せめて何がしたいかだけ見当をつけておかねば…と思いつつも、自分がやりたいこととはなんだと必ず行き止まりにぶつかってしまう。はあ〜あ、自分のしたいことってなんなんだ〜(大の字)
こんなコロナ禍で、自分と向き合える時間が沢山ある、そんな中で何をしたいのか悩む。これは贅沢な悩みだとは分かってはいるが…


そんな人生の春休みもあと3分の2、本格的に就活を始める6月までさらに好きなことをして楽しみたいが頭の片隅に大きく置かれている"仕事"の存在。でかすぎる。もうちょっと気楽に生きれたらいいのに、と自分でも思う。
本当ならば、この間に大阪に舞台のために遠征して、吉本の劇場にも足を運び、大阪にいる友達に会い、地元にも帰り、大学の友達と遊園地に行き…立てている計画はたくさんあったが、全てコロナでおじゃんだ。



そんな中で、家にいても自分を別の新しい世界へと連れていってくれる存在が、本だった。一歩その世界へと入り込めば、他人の人生を描いた映画になる。時には、外国への旅行に連れて行ってくれる。ある時には人生におけるアドバイスを貰えることもある。そしてある時には、心のケア、カウンセリングまでしてくれることもある。


ペク・セヒ著、『死にたいけどトッポッキは食べたい』。

死にたいけどトッポッキは食べたい

死にたいけどトッポッキは食べたい

  • 作者:ペク・セヒ
  • 発売日: 2020/01/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


4月に入ってからいくつか本を買い、読み終えた内の1つである。実はこの本には仕事を辞める前に一度出会っていた。タイトルに惹かれ手に取りはしたものの、そのときはほんとになんとなくの感覚でそっと棚に戻したんだった。
なぜあの時買わなかったのか…と思うが、おそらくその時はそういうタイミングではなく、今だからこそのタイミングで出会った必然的なものだと思う。BTSを本格的に好きになりこの本をナムさんが読んだということを知った。自分も気になっていたものを推しが読んだのであればこれは読むべきだろう!というオタク理論で再び興味を持ったのだ。結果、買ってよかったと心底思う。


『もっと気楽に、自分を愛したいあなたへ。』
この本は筆者のペク・セヒさんが自身の気分変調性障害(ひどい憂鬱症状を見せる主要憂鬱障害とは違い、軽い憂鬱症状が続く状態)の治療を通して、自身の人との関わり方や考え方を見つめ直していくエッセイ集である。

中身は基本的に精神科に通った時の先生とセヒさんとの治療記録(通院時のセヒさんと先生の対話)が主で、通院時ごとに初めと終わりにセヒさんの思いが述べられている。
セヒさんの心の葛藤から暗闇、自分自身との対話、そして先生との対話で気付く自分の考えの極端さ、先生から貰う腑に落ちる言葉…随所随所でセヒさんの言葉や考え方に「これはわたしか…?」と思うことがよくあった。
帯にも読者の声として書かれているが、セヒさんの治療記録を通して、先生の言葉から私自身もセラピーを受けている感覚になる。セヒさんの言葉に共感するたびに、返ってくる先生の言葉でギクリとする。自分の考えの偏り、極端さ、物事の対する視野の狭さ、全てに気がついていく。


自分がいかに生きづらい性格をしているのか、気が付きはしたが落ち込みはしなかった。
むしろセヒさんと先生の話を通して"こういう性格は自分だけじゃなかったんだ""私一人だけじゃなかったんだ"と安心感すら覚えた。
よくある物語の一つであれば、この一冊でセヒさんは病気を完治させて、明るく前向きな人生を歩んでいけるようになる。この先に光しか見えないハッピーエンドとして終わるであろう。そういう結末であれば、私はきっと「この人だから乗り越えられたんだ」「この人は頑張れても、わたしには出来ないな」「夢物語見たいな人生なんてそう簡単には訪れない」そう考えて自分との違いに落ち込んでいただろう。
だけど、この本の中でセヒさんは完治したわけではない。



セヒさんは終わりにこう綴っている。

結局、この本は質問でも答えでもない、願いで終わる。
私は愛し愛されたい。
自分を傷つけなくていい方法を探したい。
"嫌だ"よりも、"いいね"という単語が多い人生でありたいと思う。失敗を積み重ねて、もっと良い方向に目を向けたい。
感情の波動を人生のリズムだと思って楽しみたい。巨大な闇の中を歩いて、どんどん歩いて、偶然に発見した一条の光に、ずっととどまっていられる人になりたいと思う。
いつの日か。


この本はただの物語ではなく、1人の人間、現代を生きる若者の、人生の話。だからこそ、共感するし心に響く。「私も頑張って乗り越えたから、読んでるあなたも頑張って!」そんな話ではない。

どんなに自分の心が暗くたって、どんより雲が広がっていたって、どれだけ雨風が吹いたって、それでも生活はつづく。このつらく苦しい世の中を、どうやって生きていくのか。自分を愛していくために、どういう人生を歩んでいくのか。
セヒさんは願いと共に自分の生き方を見つめ直していっているんだと思う。セヒさんが自分の人生を歩んでいくように、私も歩みたい。


この話には続きがある。今度本屋さんに行った時また買おうと思う。


ちなみに私がどんなにつらくても、どんなに冴えない人生でも"生活はつづく"ことを知ったのは星野源さんのおかげである。

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)

  • 作者:星野 源
  • 発売日: 2013/01/04
  • メディア: 文庫




そして生活は続く。私の人生はこれからである。