大きな星空に潤いを

思いの丈(たけ)を綴る場所

自分を愛するということ。

文章強化月間にしている。

どうしてかというと、私が今最も推しているナムさんの紡ぐ言葉があまりにも好きで私もそんな風に文章を書けるようになりたいと思ったからだ。
もちろんすぐにナムさんみたいな文章が書けるようにはならないのは分かっているので、初歩的なことから始めてみることにした。自分が気になった本を読む、そして自分自身で文字を書いてみる。いわゆるアウトプットとインプットの繰り返しで経験値を積んでいこうとしているところである。


特に今は時間が有り余っているので、頭の中でずっと色々な考えを巡らせている。というか、これはある意味私の習慣のようなもので、時間がある今だからというよりか、普段からよく空想を巡らせている。一定時間何も考えずにぼーっとすることというのはあまり無いかもしれない(みんなそう?)。暇さえあれば自分の過去を振り返ったり、これからの人生について考えたり、時にはファンタジー的な空想をしたり…あるいは自分で言うのはロマンチストのようで少し恥ずかしいが、咲いている花や夜空の星を見て素直に綺麗だと思って想いを馳せたりする。


またこの考える速度というのも、恐らく尋常じゃないペースでコロコロ変わっていく。3秒前までAのことを考えていたのに気がついたらBのことにすり替わっている、そんなことはザラである。


これらのことをずっと考えて、次から次へと色んな考えをぽんぽんと浮かばせていると、頭の中が散らかり放題の部屋の中のような状態になる。綺麗だ・素敵だと思ったこと、推しのこと、自分のこと、良かったこと悪かったこと。引き出しの中からガッサガサと引き出すだけ引き出して、全然片付けられることがない。
今まではそこまで考えてなかったが、最近は"これは良くない"と思うようになってきた。これは部屋の中から出していくアウトプットが必要なんだ、と。


私の主なインターネット上の居住地のツイッターは、ある意味私のこの思考を吐き出せる場であり、オタクアカウントでありながら日常の一部分やふと思ったことを呟くことも多い。だからといって1ツイート140字しか書けないのに、いくつも続けてたくさん呟いてしまうのもなんだかなあ…と思うことがよくある。
だからブログに書いてみることにした。
文章強化月間の目的とマッチしていて丁度良いじゃないか。



ということで、出来るだけこの5月はたくさん文字に触れ、文字を書いていこうと思っている。
早速今日、本を一冊読み終えた。
その感想も書きたいところだが、今回はひとまず別の話。



(前置きが長くなってしまった。話が長いのも私の文章の特徴かもしれない。)





5月。私が仕事を辞めてからちょうどひと月が経った。
ツイッターをフォローしてくれている人は知っているだろうが、2020年度、私は仕事においてとても精神的にしんどい一年を過ごした。沢山の人から励ましてもらい、支えてもらい、仕事がつらいと弱音を吐いたときから辞めることを決心した瞬間、そして辞めるその日まで沢山の応援を貰った。


辞めてからまだ1ヶ月しか経っていないため、職場のことでの出来事を振り返ってしまう(もちろん思い出したくないのだが、無意識的に思い出してしまうことがある)。あれやこれやと思い出してしまうと、私が辞める一番の要因である先輩のことをさらに恨めしく憎らしく思ってしまうため良くないのだが、だからといってどうなるわけでもないので、時間が解決してくれるのを待つしかないと思う。



この先輩というのが、本当に煮ても焼いても食えない先輩だった。まあそもそも煮られても焼かれても醤油とみりんで甘辛く炊かれても塩でスパイス効かせられても絶対に食べたくはないが。とにかく言い方がキツい人だった。

昨年の新年度、ペアとなり一緒に仕事することがわかり、異動によって環境も変わる上に、もともと苦手意識があった先輩だったので正直憂鬱だった。ただ、本格的に仕事が忙しくなるまではまだ良かった気がする。話したいことは話せていたように思えるし、「あなたを育てるために一緒にしてもらったんだと思う」と言ってくれることもあったし、まあキツいこと言われても他の先輩2人がフォローに回ってくれたり「言い方キツイけど嫌ってるわけじゃないから」って言ってもらったりした。
もちろん、私も慣れない環境の中でミスすることもたくさんあったので、"私が失敗しなければ怒られないことだし、頑張るしかない"と思っていた。
あと、「私はこういう言い方しかできないから、一緒に仕事をする最低この一年は我慢して」とも言われていて、後輩で新しい部署一年目の私は「わかりました」としか言えなかったのだが、今思えばこの時に危険レーダーを察知しておけば良かったのではないかと思う。いや、自分でわかってるなら直せよ!?!?!?!



8月。心の頼りにしていた先輩2人が2人とも家庭の事情で辞めることになり、部署内の環境は上司、上司、先輩、私というわけわからん人数と環境になってしまった。思い返しただけでもゾッとする。一番上の上司がいうことは絶対、みたいな暗黙のルールのような空気を感じていたし、いわゆる"風通しの悪い職場"のようなものだった。
何をするにしてもその上司に相談するのはもちろん私も社会人の一端なのでわかるが、上の人間の考えにそぐわないことを言うとものすごく空気がピリッとする感覚。
考えてきたことを提案すると納得してなさそうに言われる「あなたがそう考えるなら、じゃあやってみれば?」という冷たい言葉、その言葉の影に含まれる「(きっと失敗するだろうけど)」という感情。先輩から実際に「きっとこんな風になって取り返しがつかなくなるだろうけど、あなたがやってみたいならやってみたらいいと思う。」と言われたこともある。失敗するよ、と言われてやりたいと思う人間がこの世にどれくらいいるだろうか。根っこからの負けず嫌いの人でさらに努力家の人であれば、燃え盛ってやって乗り越えていけるかもしれない。だけどわたしには無理だった。失敗してその後に待っている叱責や先輩そして上司の落胆の表情、仕事への責任感があればあるだけ生まれる失敗したことへの罪悪感を想像すると、出来なかった。

失敗をしてしまうこと、分からないことがあることを上司に相談したことがある。「失敗することで学ぶことも沢山ある。失敗は悪いことじゃない」と返してもらって、そういってもらったときは頑張ろうと思えた。
だけど仕事で失敗した私にかけられる反省会での言葉を振り返ると、"私は失敗してしまった"という感情しか残っていないことに気が付いた。

私にかけられた言葉はきっと、上司からすれば全部私のために言ってる言葉だったと思う。私のために時間を割いて、私のために言葉をかけてくれている。だけどごめんなさい、私はあなたたちからの言葉で「頑張ろう」と思った回数より、「死にたい」と思った回数の方が多かった。
言葉のナイフで切り刻まれ、次への一歩を踏み出す向上心がだんだんとすり減っていくのを感じていた。



気付けば私は、"出来るだけ失敗を少なく、怒られないように"過ごすことだけを目標としていた。



大人になると褒められなくなる、それはそうだ。だけど"褒められない"のと"認めてもらえない"のは全く違う。私はきっと、認めてほしかった。「今日の〇〇、よかったね!」くらいでもよかったかもしれない。失敗しても「ここはだめだったけど、ここはよかった、次はこうしていこう」という前向きなフィードバックを一緒にさせてもらえてたらよかったかもしれない。他の社会を知らないので、私が言っているのは贅沢なわがままなのかも。だけど私が先輩になるときは後輩の自己肯定感を尊重してあげられる人間になりたいと思う。先輩は本当に人の自己肯定感をことごとく潰していく、"自己肯定感クラッシャー"だったから。


「今日は残念だった」「なんでこうしたのかわからない」
「あなたの仕事のやり方がそうなら、私は理解できない」
「あなたには責任感を感じられないから一回大失敗しないとわからないと思うよ」

ちょっとしたミスでつかれるため息。少しでもその先輩の中での疑問点があると「どうしてこうしたの」と言われる。失敗したことを察知して怖くなる。その後に待っている言葉を想像すると怖くなる。

少し準備が大変なイベントがあった時、何をすればいいのかわからなくて、先輩に何を手伝ったらいいのか尋ねたが「今洗濯物が出来たから干しておいて」と言い放たれてさっさと行かれてしまった。他に出来ることもなかったため、洗濯物を干していると、上司に「手伝わなくていいの?来年困るんじゃない?」と言われたが「洗濯物干しておいてと言われて…」と答えるとため息つかれながら「じゃあ洗濯物干しとけば?」と言われ、背中を向けられる。こうなったらもう何を言っても聞いてもらえないのは、雰囲気でわかる。
先輩に教えてくださいと食い下がればよかったのだろうか。



今の私は、"積極性がない"というのだろうか。"指示待ち"と言われるのだろうか。

でも周りの反応からしてひとつだけわかるのは、恐らく私が"ダメな行動をしている"ということだけだった。



"出来るだけ失敗をしないように、怒られないように"そう思えば思うだけ、考えすぎて自分でも「なんであの時あの行動をしたんだろう」と思えるくらい突拍子もない行動を起こし、怒られる。怒られるのを恐れて、自分の行動一つ一つにその後"もし怒られたら"というシュミレーションを瞬時にしてしまい、行動に躊躇いが出て、間違った方を選択し、結果怒られるという悪循環を繰り返していた。相当萎縮していたんだと思う。


「失敗をする私がダメなんだ」「うまく出来ない私がダメなんだ」「もう配属されて半年もなるのにうまく出来ない」「ここに就職して3年目なのに、どうしてうまく出来ないんだろう」


家に泣きながら帰っては家族に心配をかける日々。「辞めたい」と泣きながら朝、家を出る。通勤途中「運良く車に轢かれないかな」と思う。夜眠れなくて夜中に散歩したこともあった。泣きながら眠る夜もあった。母には何度も「もう辞めなさい」と言ってもらっていた。だけど、目の前の仕事を全て放棄して年度途中で辞められる仕事ではなかった。

配属されて一年で辞めるのも、周りの目が気になる。お世話になった人たちにも申し訳なく感じる。じゃあ、あと一年。あと一年頑張ろう。来年の夏の面談で、適当に地元に帰るとか言って辞めるって伝えよう。そう思って、なんとか過ごしてきた。


12月。自分が考えたものを実施したが、ちょっとしたハプニングがあり、失敗してしまった。上司たちは「新しいことだったから、こういうこともあるよね」「次する時はこの部分気をつけよう」と、思ってもみなかった言葉をもらった。落ち込んでしまっていたが、頑張ろうと思えた。
上司2人が部屋から出て行き、先輩と私2人きりになった。



「今日は本当に残念だった」



反省すべき点を言われた後、トドメのように突き刺さる。まあ確かに仕方ない。自分でも残念だと思う。この先輩は、上司がいなくなると一番キツい言葉を投げかけてくる人だ。言われることは分かっていた。
だけど、失敗したとしても、この目の前の仕事には仕上げ作業がある。私の責任で失敗したことだが、最後まできちんとやり遂げたい。だけど、先輩とペアを組んでいる以上、一緒に相談させてもらいながら終えたかった。「この分は最後どうしましょうか。こういう風にしたらいいですか?」と一つ一つ尋ねていく。一つずつ尋ねていくのも煩わしいと思われるかもしれないが、私は以前勝手にやって注意を受けた前科がある。ここではとにかく確認と承認が大事だと、流石に学んだ。そして、見た目は確かに良くないが、一生懸命作り上げてくれたそれを先輩に見せ、確認をとった。そして返ってきたのは、


「もうそれは失敗してるからどうでもいいよ」


という言葉だった。

本当に悲しかった。言われて辛いとか苦しいとか落ち込むとかの今までの感情ではなく、初めて"悲しい"という気持ちになった。私の責任でこうなってしまったが、これを通して作り上げてくれた人や出来上げるまでに込められた思いには罪はない。



衝動的に、辞めることを決意した。もうダメだと思った。こんなことで逃げる私は弱いのかもしれない。だけどそれでいいと思った。辞める、その一心だった。その足で前の部署でお世話になって一番信頼している先輩に辞める決心をしたことを伝えた。引き止めもせず、静かに話を聞いてくれたその先輩には、本当に感謝している。辞めることを社長(的な役職の人)に伝える前も、どうすれば引き止められないのか、どうしたら伝わるか、その相談も沢山乗ってくれた。


辞めることを社長に伝えたあと、明確なゴールが定まってからは、明らかに肩の力が抜けた感覚があった。まず怒られることが減った。むしろ何も言われずに一日を過ごせることが多くなった。あと、仕事中に楽しいと思える瞬間が少しずつ出てきたし、先輩や上司にどう思われてもいいや、そう思えるようになった。私はどれだけ萎縮して、凝り固まっていたんだろう。いや、萎縮はしているし、それでも何言われるのか怖くなる瞬間はあるが前よりも数億倍マシだった。これにもっと早く気が付けていれば、辞めずに済んだのだろうか。たらればの話をしたって仕方がないのだけど。


ちなみに社長に退職の旨を伝えて、人間関係で悩んでいることを話した際、明らかに腕を組んだり、耳の穴を触り始めたりして「ああまたこの話か」みたいな態度を取られていたのを覚えている。やばいこのままじゃ受け入れてもらえないかもしれないと思った矢先、社長が「そういうのは、やっぱり仕事する中でよくある話なんだよね。だけど、あなたのこれからのキャリアを考えたときに、本当にここで辞めていいのかって話なんだ」そう言われた時、本気で「こいつダメだわ」と思った。
そう思ってから一呼吸置いて、「これは重たい話なんですが」と切り出し、自分の精神面、生きるか死ぬかの状況だったこと全て話した。そしたら「これ以上頑張りなさいとは言えないね…」という言葉が返ってきた。むしろここまで言わないと分からなかったらしい。

社長から「内容が内容だから、僕からも話すけど、あなたからも副社長や主任にも自分から話しておいてね」と言われ、話していったが、副社長には「どんな思いで配属したのか、上の気持ちはやっぱり下には伝わらないってことね」「あなたの直属の上司も、ストレスで身体を壊してるのよ」という言葉が返ってきた。もちろん上には上の苦労があるのはわかる、わかるが、じゃあそれを汲み取って働けというのか。そんなのさすがに無理がある。



だけどそんな人たちばかりではない。辞めることを寂しがってくれた方たちも沢山いて、あの環境でよく頑張ったねと褒めてくれる人もいて、むしろ申し訳ない気持ちになった。話せなくてごめんなさい、そしてありがとうございましたとせめてもの気持ちを伝えた。

もうちょっと頑張れたのだろうか、私は弱かっただろうか。私がもっともっと積極的に、うまく立ち回っていれば、仕事を続けていただろうか。そう考えることも何回もあったが、そのたびに今までのことを思い出し、「いや、やっぱりこれが限界だった」と自分の選択が間違ってないことを確認してきた。


ちなみにクソ先輩からは(口が悪くてすみません)、退職者の発表があったその日、上司2人がいないタイミングを見計らって「辞めるの!?私についてこれなかったね!!!!」とすごい明るいテンションで言われた。こいつは一体どこまで性悪を極めるんだろうか。とりあえず認めるのも嫌なので「ちがいますよ!体調が悪くて!」と食い気味で否定しておいた。


そういえばその後くらいに「辞めるからいいかなって思って」って言われて(この言い方もどうかと思うが)、彼氏がいることを暴露されたことがある。私は大人なので、「もお〜なんで早く言ってくれなかったんですか〜!?」とおだてておいたが、内心「私を苦しませといてお前だけ幸せになるなんぞ絶対に許さんからな」という気持ちになったのは言うまでもない。それくらいは思わせてほしい。


辞めた後、辞める決意を伝えたお世話になった先輩とご飯に行った。私が辞めた後、その部署にいる主任が「あの部署に行かなければ、結果は変わってたのかな…」と話してきたらしい。先輩は「そうでしょうね。」と返してくれたそうだが、その先輩の言い方がちょっと面白かった。




これをブログに綴ろうと思ったのは、この私にしぶとくこびりつくトラウマのようなこの記憶と決別するためだ。私はこの過去とさよならをして、次の人生を歩む。全てを吐き出して、新しい空気を取り入れる。


この一年、「私はどう生きていきたいんだろう」ずっとそれを考え続けてきた。
平日も休みも境がなく、ずっと仕事をする日々。眠たい目を擦りながら持ち帰りの仕事をし、寝落ちして早朝に起きて仕事をするギリギリの生活。そんな日々はもうしたくないと思った。



自分を大切にしたい、自分を丁寧に扱いたい。



仕事で疲弊していくほど、荒れ散らかっていく自分の身の回り。片付ける気力もなく、見て見ぬふりをする。大好きだった紅茶を蒸らす時間や、コーヒーをドリップする時間は、忙しさと共に焦れったくなり、時間がかかるものは意識的に排除していった。趣味のカフェ巡りも、体力がなくて一人で行かなくなってしまった。

大好きなアイドルを見るのも疲れてしまうようになる。自分の闇が濃ければ濃いほど、アイドルの男の子たちの眩しい光は受け付けられなくなる。よし、と気合を入れないと見られなくなった。恋をするように応援していたのに。自分が、変わってしまったと思った。(その代わりにアインシュタインさんにハマってしまったのだが…自分から笑いを求めて幸せホルモンを出そうとしていたのかもしれない)


幸せってなんだろう。働くってなんだろう。自分にとって働くってどういう意味なんだろう。
とにかく穏やかに過ごして行きたい。大学の頃に教授が耳にタコができるくらい繰り返していた「ライフワークバランス」の意味が今ならやっとわかる。自分の人生と仕事の両立なんて出来るだろと簡単に思っていた私に教えてやりたい。人生と仕事の両立は、思ってるよりそう簡単じゃない。
親に迷惑かけないくらいのお給料をもらって、家に帰れば社会的な立場から解き放たれて自分の好きなことに時間を使う。時々、ご褒美にちょっとだけいいものを買って、推しにお金を出して。もちろん、ずっとそうはいかないだろうが、前の自分より仕事と趣味のバランスの取れた人生を過ごしたい。


理想論かもしれないし、そんな仕事が見つかるかどうかはわからないが、とりあえずやらなきゃ何も起こらない。
自分自身を大切に出来る、ご飯が普通に美味しいと思える、好きなことを好きだと思える、そんな環境に身を置きたい。




Love myself。
BTSから教えてもらった言葉だ。


自分を愛するために、どんな人生を歩んでいくのか、今私は自分と向き合っている途中である。






ちなみに、これは私が仕事が辛かったときに聞いていた曲たち。

いつまでこの生活が続くのか、そんな時期は源さんの「The shower」だった。

The Shower

The Shower


辞めると決心したあと、音楽を聴いていて偶然流れたMrs.Green appleの「Cheers」にもすごく背中を押してもらった。

CHEERS

CHEERS



辞めることが決まったあとは、なにクソ精神でミセスのこれを聞いていた。

Attitude

Attitude

アウフヘーベン

アウフヘーベン

WanteD! WanteD!

WanteD! WanteD!


最後に私が大学の時に教授から貰ったこの言葉を置いておく。


どうかこれからの人生、楽しい日々が待っていますように。