大きな星空に潤いを

思いの丈(たけ)を綴る場所

やっぱり嵐が好きだという話。

嵐が活動休止に入ってしまって、なんか記録用に自分の気持ちを文章にでもしようかな、なんて思いなんとなく下書き欄を見たら、こんなタイトルだけつけて一文字も書かれずに放置されてる記事があった。日時は2019年11月19日。ちょうど20周年を迎えてちょっと経ったくらい。嵐への愛が爆発して抑えられなくなったんだろう。だけど文字にする前に気力が尽き果ててしまった、そんなとこだろうか。


過去の私がこんなタイトルをつけるだけつけて放置してくれたおかげで、今の私が少し自分の気持ちを文字にすることをやる気になっている。ブログを書くにあたって一番悩むのはタイトルだからだ。ちょっとおしゃれなタイトルをつけたい、みたいなぺらぺらのプライドだけが顔を覗かせるので、いつもここでつまづく。最終的にいつも普遍的なタイトルをつけることになるのだけれど。


昨日いっぱいで嵐は活動を一旦休止して、新しい年を迎えた。2年前、活動休止を発表した後に書いたブログには「2年後どんな気持ちでいるのだろう」と記していたが、思ったよりも私は今、清々しい気分でいる。


嵐がいない世界なんて、信じられないし、実感わかないし、絶対にロスになって死にそうになってる、そんな風に思っていたし、昨日のライブが終わる時まで、むしろ終わった後もそう思ってた。


だって嵐はずるい。
最後に5人で横に並んだ姿が脳裏にこびりついている。


「ずっとそのままでいて」
「ずっと嵐のままでいて」
「活動休止なんてしないで」
「寂しい」「行かないで」


最後の最後、ライブが終わる瞬間に自分自身から湧いて出てくるのは未練の言葉たちばかり。「笑ってさようならを言おう」と2年前に心に誓ったのに、そんな言葉しか出てこなかった。申し訳ない。笑顔でさようならなんて、到底無理だった。だって大好きだから、ずっとそばにいてくれた存在だから、嬉しい時や悲しい時は、そっと優しく手を差し伸べてくれたり、背中を押してくれたりする存在だったから。嵐はずっと私を見守ってくれている大きな存在だった。帰る居場所をずっと守ってくれているような。1人じゃないと思わせてくれるような。

でももうその瞬間、未練ばかりの言葉たちは無意味だった。

"引き際は美しくあるべき"という「立つ鳥跡を濁さず」なんてことわざがあるけれど、嵐の引き際は美しすぎるほどだった。眩いほどの光に包まれて、だんだんと5人の姿がぼやけていって、もう一度視界がクリアになったときにはもう、誰もいないステージだけが広がっていた。

「嵐がいない」
口に出すとより現実味を帯びて、涙は止まらなかった。

あんな風に綺麗に消えていなくなってしまうと、今まで私が見ていた嵐さえも夢幻だったのかと思ってしまう。"嵐"という夢から覚めたような気分だった。長いようであっという間の夢だった。16年間だった。



私が嵐と過ごした16年間は、本当に楽しいものばかりだった。振り返るといろんな思い出がある。嵐と共有している思い出、ほかのファンの人とも共有できている思い出、私だけが持っている嵐との思い出。私だけじゃない、みんなそれぞれ、嵐との思い出があるだろう。10人いれば10通りの、嵐との思い出があると思う。

嵐との思い出は全てがキラキラ輝いていて、一つ一つが宝石のようになって私の中の宝箱にしまってある。イメージするなら、5×20の垂れ幕のスワロフスキーのような宝石。ファンクラブ会員全員に配られたスワロ一粒一粒がもしかしたら、ファンと嵐との思い出のかけらなのかもしれないな。

小学生から社会人になるまでずっと一緒に過ごしてきた嵐は、まさに"青春"そのものだった。青春を嵐と共に過ごしてきたし、同じように嵐と共に青春を過ごしている友達とも出会い、一緒に思い切り青春を送ることもできた。嵐のおかげで出会えた友達も沢山いる。嵐が好きだと公言していたおかげで、"嵐の松潤を好きな子"というわかりやすいイメージを持ってもらって、嵐のこと好きじゃない子とも仲良くなりやすかった。嵐が好きであることは、コミュニケーションの手段の一つでもあったな。

キラキラして、だけどずっと続かない儚さがあって、誰しもがその瞬間は永遠じゃないと分かっている、青春はそんなイメージがある。青春そのものだった嵐にも活動休止を発表する前からずっと、何かこう"儚さ"や"一生続いて欲しい、だけどこの瞬間は永遠じゃない(だからこそ噛み締めて大切にしたい)"と思わせるような感覚がずっとあった。キラキラしているこの人たちのこの瞬間は、いつか泡のように消えて無くなってしまうんじゃないか。気を緩めたら、指と指の間からサラサラとこぼれ落ちていってしまいそうな、そんな儚さが。まさか本当に一旦終わりが来るなんて、想像もしていなかったけれど。

嵐は活動休止する最後の最後まで、青春の煌めきを残していった。昨日のライブの瞬間瞬間が、思い出の1ページとして心に焼き付いている。この感覚はなんとなく、学生時代の卒業式と似ている。それぞれの道を歩むみんなとの、一旦のお別れ。最後に笑い合うこの瞬間が永遠に続けばいいのに。卒業式後、じゃあねと別れる瞬間までどことない儚さが胸に残っているあの感じ。


嵐があの光に包まれた後、しばらくはもぬけの殻で、立ち直れなかった。カウコンにも身が入らなくて(WESTさんは可愛かった)、その後毎年恒例で必ず見るお笑い番組もぼーっとしてた。


でもなんかふと「嵐から貰った2年という時間、私にとってどうだったかな」と考えた。そしたら後悔や心残りが全く無いことに気がついて、「私ってこの2年間嵐とめちゃくちゃ楽しい時間を過ごしてきたんじゃん」って。「後悔なんてひとつもないくらい、嵐との時間を満足いくまで、過ごすことができたんじゃん」って。活動休止をする嵐と過ごした2年、振り返れば本当に楽しいものばかりで、はじめてのことばかりで、興奮も楽しさも喜びも沢山のものを嵐はくれた。はじめてのインスタライブ、めちゃくちゃ楽しかった。配信ライブも、SNSでの嵐同士のやり取りの可愛さも。こんなに長い時間応援してるのに、それでもなおこんなに嵐からの"初めて"をプレゼントされると思ってなかった。いやあ、嵐は本当に楽しいことばかりを用意してくれてたんだな。


そう気付いたらなんだかめちゃくちゃ清々しくなって、かと言って寂しい気持ちには変わりないんだけど、私の中に"嵐"は存在し続けてくれるんだって、これからもそばにいて優しく背中を押してくれる存在なんだって思った。私が嵐と過ごしてきた時間は夢じゃない。ちゃんと、自分の中に煌き続けてくれる。


嵐から貰えるパワーは、本当に凄まじい。嵐が持つパワーは正直、どこの誰にも出せないパワーだと思う。それは彼らが培ってきた時間と関係性で成り立ってるパワーだなと思ってる。今年、個人的にもとてもしんどい一年で、何度もダメになりそうだったけど、嵐から貰えるパワーで乗り越えられた壁がいくつもある。そんなパワーをリアルタイムで貰える機会がなくなってしまうのは、寂しいし恋しいけど、どうにかこうにかやってこうと思う。嵐がまた"嵐"として帰ってきてくれるその日まで。それまで嵐には、翔ちゃんの言葉を借りるなら"嵐に限りなく近いもの"として、交流を続けていって欲しいし、定期的に交流レポをこちらにも欲しい。よろしくお願いしたい。笑



嵐さん、21年間お疲れ様でした。
青春をありがとう。
ずっとそばにいて背中を押してくれてありがとう。
21年間、嵐で居続けてくれてありがとう。


活動休止になっても、やっぱり嵐が好きだ!!!
日本の片隅に住む、ちっぽけな嵐ファンのお話でした。

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