大きな星空に潤いを

思いの丈(たけ)を綴る場所

自担が作った曲が人生のお守りになるなんて

昨日は仕事でもプライベートでもうまくいかないことが多かった。自分ってなんでこんなに余裕がない人間なんだろう、迷惑かけてしまった人に対して「ごめんなさい」という気持ちでいっぱいで。いつもならなんて事なくスルーできるようなことも、いちいち引っかかってしまってまた落ち込む。なんだか今日はツイてないなぁなんて思う。「いやいや、ツイてないと思うから余計にいいことが起こらないのでは?」なんて声が響いてきて、主観的自分 対 客観的自分の議論が始まり、頭がうるさくなる。そして、疲れる。私ってなんでこんな考え方が面倒なんだ…と自分でも嫌になるほどに。客観的っぽく振る舞う自分が出てきて自分が考えた物事に対して意見して脳内会議を開くのはいつもの癖で、時々「自分って疲れる考え方してるなあ」と思う。考え方がひねくれてる、とも言うかな。

でも、最近の自分には少し変わったところがある。悩んだり落ち込んだりしたときに必ず頭をよぎって、救いの手を差し伸べてくれるものがある。「間違っちゃいない」が世に出てから私の落ち込んだ心が軽くなるのは、早くなった。

 

間違っちゃいないを初めて聞いたときは「自担を肯定して受容することはあっても、自担に肯定してもらって受容してもらうことなんてあるのか!?」というぐらい震えた。新社会人として働き始めて、右も左もわからない中で、重岡くんに重岡くんの言葉で綴った歌に応援されるのはとても嬉しかった。背中を押してくれる曲だと、聴いてる人の気持ちにそっと寄り添ってくれる曲だと思ったのが最初の印象だったかな。いつしか言ってた「俺らはスーパーマンじゃないから、みんなと同じやから」って言ってくれた重岡くんだからこそ書ける歌詞だなあだなんて思った。

 

冒頭で自分の考えがひねくれてる話をしたけど私は自分の「つらい」「逃げたい」「嫌だ」という気持ちにも割と素直になれない人間で。他人のつらさと自分のつらさを比べたって仕方ないのに比べて、「周りもつらいのになんでこんなに自分は弱いんだー!」と思ってしまうところがある。泣きたいときに音楽聴くのも「なに感傷にひたってんだ!」って思ってしまって、そんな自分がばかばかしくなるときもある。書いてて思ったけど私ドMなの?

でも間違っちゃいないを聴いて、重岡くんがどんな想いで作ったのか皆にどんな想いで聴いて欲しいのかを聞いたら、あ〜なんか逃げたいって思ってもいいんだ、泣きたいときは泣いていいんだ、つらいって気持ちに素直になっていいんだ、って思えたんだよねえ。

任された仕事が精神的にも肉体的にもしんどくて、現実から逃げたくて、夜寝る前に泣いて。朝仕事に向かうのが嫌で、わざとゆっくり自転車漕いでみたり。なんだったら家出る前にも行きたくなくて泣いてた。私が望んだ仕事だったけど、本当にこれがなりたかった自分なの?「理想と現実で結ぶ靴紐歩けるかな」本当にそんな感じだった。自分の描いた理想と現実のバランスがガタガタで一歩一歩踏みしめるので必死だった。

 

頑張れなくていい

嫌になったっていい

情け無くていい ダサくていい

怖くなってもいい 

どんな自分だっていい

 

この部分聴いたときは「本当に…?」という気持ちだった。本当に頑張れなくていいの?怖くなってもいいの?自分の弱い部分を素直に出していいの?という気持ち。人として尊敬してる、生き方を、考え方を見習いたいと思ってる「重岡大毅」という人からそうやって肯定してもらえる心強さ。尊敬する人にも頑張れないときや逃げたくなった夜、消えたくなった朝もあるって思ったらまだまだ人間として未熟な私にそういう部分はあって当たり前なんだって、大丈夫なんだって思えた。完璧な人間なんていない。しかもそんな部分を「まぁまぁカッコいいんじゃない」だなんて。そんなこと言えるのは自分の弱さと本当の強さを知ってる人じゃないと言えないんだ。重岡くんは本当に優しくて強い人。

そうやって聴いてるうちに、落ち込んだときに「間違っちゃいない」の存在を思い出すようになって、大丈夫間違っちゃいない、ダサくていいんだ、頑張れなくていいんだなんて思えるようになった。重岡くんがコンサートでの間違っちゃいない演奏前に「つらいときしんどいときこの曲を思い出して」って言ってたようになったなあってなんだか嬉しくもなった。あとは、なんだろうな。そうやって思えるようになったらこの曲にしんどい気持ちを預けられるようになったというか、上手にわたしが寄りかかれるようになったというか。曲に支えてもらっているというよりは、曲にプレッシャーや不安を少し肩代わりしてもらってる感覚。上手に音楽に頼ることも出来るようになってきた。間違っちゃいない限定かもしれないけど。

 

そこまで思ったら気付いてしまった。初めて聴いたときは「応援」「背中を押してもらう」「寄り添ってもらう」曲だと思っていたけど、今この曲の存在ってお守りと同じなんじゃないか。

受験のときには学業成就のお守り、健康を願いたいときには無病息災のお守り、ステキな出会いをしたいときには恋愛成就のお守り、各々がそれぞれの想いを胸にお守りを買って身につけておく。お守りあるからなんとなく大丈夫な気がする。守ってくれる気がする。

わたしの中の「間違っちゃいない」はこの曲があるからなんとなく大丈夫な気がする、失敗しても落ち込んでも大丈夫。そんな人生のお守りみたいな存在になった。

 

多分この先もキツイことしんどいこと逃げたくなることたくさんあると思う。でもその節目節目でこの曲思い出して勇気を貰うんだろう。

この曲を作った重岡くんは間違っちゃいなかった。貴方がしんどかったときに生み出したこの曲は全国各地へ届けられてたくさんの人の心の寄拠り所になっているよ。悩みながら作ってくれた重岡くんにありがとう。

 

ここまで書いてなんだけどちょっぴり恥ずかしくなってきたな。これからもこのお守りを身につけて日常を頑張っていきます。

間違っちゃいない!