大きな星空に潤いを

思いの丈(たけ)を綴る場所

貰った時間で出来るかな 長いのかな 短いのかな

嵐が活動休止会見をしてから3週間が経とうとしている。もう3週間か…まだ3週間か…みたいなどちらとも取れない時間の感覚がずっとある。でもその3週間という時間は短くはなくて、活動休止の一報を受け取ってから何日も止まらなかった涙は止まったし、気持ちにも少し余裕を与えてくれた。

たぶんこの気持ちの余裕というのは、こんなことがあっても日常は変わらず忙しくて何事もなかったかのように続くことや色々と泣いて考えてたくさんの人の考えを聞いて受け入れられたからかな、と思ってる。でもどうかな、気持ちの整理のためでもあるこの2年、この2年というしっかりした期間があるっていうこと、活動休止してからの想像が全くつかなくて未知数なこと、未知数が故に嵐というグループが表に出てこない世界が必ず来るっていうことをいまいち理解できてないんじゃないかとも思う。

たぶん嵐は活動休止するまでのこの2年、すっごく楽しいことを準備してくれていて、楽しい思い出を一緒に作れる機会をたくさん用意してくれていて、笑って「またね」って言えるようにしてくれるんだと思う。というかそのはず。でも実際に2年後、じゃあ今日から嵐は活動休止です!っていう日が来てしまったときに自分はどう思ってるんだろうな、どんな状況でいるんだろう、笑ってるんだろうか泣いてるんだろうかと想像できなくてちょっと怖い。それだけ、人生の半分以上そばにいた嵐の存在というのは大きい。

 

会見の次の日、まだ気持ちがガタガタで、自分が何をどう思ってるのかすらわからない、悲しいのか寂しいのかなんでこんなに涙が溢れてくるのかわからなかったときに同じ潤担のお姉ちゃんにこんな風に言われた。

 

 

悲しいときにめちゃくちゃ落ち込んで泣いてるときふっと頭の中で急に冷静になる自分が出てくるときがある。このときも例によって冷静で客観的っぽい自分が出てきた。5人できっぱりと「活動休止」って言ってるのに、それが完全になくなってしまうわけではないのにどうしてこんなに泣いてるの?いつかは帰ってくるのに、どうしてこんなにメソメソしてるの?ちょっと落ち着きなよって自分で自分を責めるターンに入って、それで余計に感情が絡まる。ぽろっとお姉ちゃんに吐き出したらこうやって言ってくれて、2年という期間を設けてくれた嵐に心底感謝した。お姉ちゃんも涙こらえてた。

 

今はいつか嵐が帰ってくるってなったときに、活動休止ってなった当時の自分の気持ちをちょっとはてブロにでも記しておこうかな、くらいのテンションでこの記事書いてる。何年後になるのか分からないけど、嵐が帰ってきたとき私はこの記事懐かしみながらこんなに落ち込んでたのかwと軽く笑い飛ばせるくらいにはなれてるだろうか。なっててほしいな。それくらい嵐とは笑ってさよならをして、笑って盛大におかえりを言いたい。この2年でそのための準備をしておかなきゃならない。

 

2018年12月、5×20に入ったときの感想で私はこう綴っている。

 

5×20の話になるけど、ネタバレしないように総括すると、嵐の嵐による嵐についての惚気をめちゃめちゃ聞かされたコンサートだったなという印象。(これはめちゃくちゃ褒めています)

本当に嵐は嵐のことが大好きだし大切にしてるんだなあと再認識したコンサートだった。ここ数年、アイドルに永遠なんてないんだって嫌でも知らされた世の中で、変わらず5人でいてくれることがこんなにも尊いんだと身にしみてわかったから余計に嵐も嵐でいられる今を噛み締めてるんじゃないかなと思ったのが私の印象。

ファンがいたからこそというのももちろん、それ以上にこの5人だったからこそこの場所に立ててる、そういう話をする嵐が嵐らしくてもうめちゃくちゃ好きだった。急に語彙力喪失してごめん。ファンがどれだけ応援してもどうにもならない現実があるってこと、目の当たりにしてきたからこその話。自分がその立場に置かれたら、本当に無力なんだろうなあと思う。嵐が嵐でいてくれることに感謝しながら、今という時間をしっかりと見つめて今の嵐を自分の目に焼き付けておかないとね。

20年と15年。 - 大きな星空に潤いを

 

盛大なブーメランで、改めて読み返したときにこれでもかというくらいまた泣いた。私が感じたことは間違いじゃなくて、本当にその通りだった。だって活動休止に向けて嵐が嵐をどれだけ大切にしているのかそれを示すコンサートだったんだもん。この記事を書いた約2ヶ月後くらいに自分がその立場におかれるなんて思ってもなかったな〜〜。どのグループも大丈夫なんてことは絶対にないって推せるときに推しとけって心に刻んだつもりでいたけど心のどこかで嵐は大丈夫だとおごりがあったんだろうなと思う。今回のアニバツアーで嵐は本当に嵐でいられる今を噛み締めていたんだ。そして本当にその立場に置かれた自分は無力でちっぽけだった。ファンっていうのは応援することで持ち上げて世に出て行く手助けをして支えてあげられることはできるけど、逆に言えば、休止とか解散とかいうグループの決断に関与することはできなくてその決断に対しても声援を送って支えてあげることしかできないんだよなあ。つまり何を言いたいかというと、一ファンの私ができることはもっと少ないんだなあということ。

 

じゃあ今私が出来ることといえばなんだろう??たぶんそれは会見での嵐5人の姿、Enjoyやオトノハで綴ってくれた潤くんと翔ちゃんの心からの言葉。これから出てくる嵐5人からの姿勢や発言、用意してくれるイベントの数々。それら全てを信じて、残り2年を思っ切り楽しむしかない。だってファンが欲しい言葉をきちんとくれる人たちだよ。外野が何言ったって自分たちの言葉だけ信じて欲しいって、前だけを見て進んでる人たちの集まりだよ。私が好きなのはそういう嵐だ。「研いだ爪隠し牙を剥く」ような、まだまだ内に尖っている部分を秘めて外野に有無を言わせず勢いよく進んでいく人たちだ。泣いてちゃもったいない。涙で霞んだ景色ばかり、記憶に残したらもったいない。もっと鮮明に、楽しく明るい気持ちのままで記憶に焼き付けたい。嵐が嵐とファンのことを考えて作ってくれたこの2年、大事にかつはっちゃけて過ごしていこう。ふとした瞬間に寂しさはよぎるかもしれないけど。ゆっくりでいい。一歩ずつ前へ。そして勢いよく進む嵐の背中を少しでも押せるように微々たるものだけど風を送ろう。

 

嵐の曲を聴いてしまったら泣いてしまう気がして、今はまだ何も聴いてない状態だけど、そんな中で違う曲を聴こうと思って流れてきた曲がBUMP OF CHICKENの「宇宙飛行士への手紙」だった。うっかり、めっちゃ泣いた。歌詞とファンの気持ちが妙にマッチするというかなんというか。タイトルはその歌詞の一節。貰った2年という時間でこの気持ちを処理できるかな、たっぷり楽しめるかな、この時間が長いのか短いのか、それはまだ今は分からないけどどうか嵐に、嵐を好きでいるみんなに平等に与えられた2年という時間が最高に幸せな時間になりますように。

 

2年間、嵐と一緒に楽しい思い出をたくさん作ろうな、自分。