大きな星空に潤いを

思いの丈(たけ)を綴る場所

20年と15年。

 

あの目眩がするような長蛇のグッズ列を見たときに、いつもなら「毎度のことながら多いな!」としか思わないあの列を「このたくさんの人が並ぶ列も嵐が積み重ねてきた20年が作り上げてきたものなんだ」と思ったら涙がこぼれそうになってグッズ列並びながらギリギリだった。12月にしてはそんなに寒くなかった中で1人鼻をすすっていた様子は周りから見たら、もしかするとおかしかったかもしれない。でも20年という記念の年を本人たちを目の前にして祝えるんだと思ったら、余計に胸が熱くなってそう考えずにはいられなかった。

 

手元のiPodで嵐をシャッフルで流しながら、気付いたら自分が嵐を好きになってからのことを無意識に振り返っていた。

 

ごくせんで潤くんの良さに気付いて、きみはペットで完全に落ちた姉の隣にずっといた私は同じ時期くらいに気付けば潤くんのことを好きになり、応援するようになっていた。お姉ちゃん子だったからお姉ちゃんが好きなものは一緒に好きになるタイプの妹だったので嵐も例外ではなく、好きになった。西暦で言えば2003年。もう15年も前のことだ。そのときから私の人生のそばにはずっと嵐がいた。

 

姉曰く、この頃からオタクの片鱗は出てたらしい。

きみはペットをやっていたのは小学生にとっては割と遅い時間で、その時間にはきちんと寝てた真面目な子どもであったわけだけど、時々むくりと起きてはきみはペットを見ている姉のところへ行き、「モモ、癒される〜〜〜!」「私もモモみたいなペット欲しい…」と言ってまた布団へ戻る、みたいなことあったらしい。私は全く覚えてないから我ながら怖い。姉は黄金期からジャニオタしているジャニオタ先輩である訳だけど、そんな姉から「血は争えないんだよ………(妖笑)」って言われたの忘れられない。ジャニオタの血怖すぎんか?

ちなみにあの時の私に一言、今でも私はモモみたいなペット欲しいと思ってるよ。

でも東京タワーと僕妹だけは姉がコンプライアンス的に(?)絶対にあの当時見せてくれなかったの、今思うとめちゃくちゃおもろい。正しい判断

 

姉が手に入れてくるCDやコンサートDVDを一緒に見ては、姉が見ないときも穴が開くくらい見た記憶もある。「姉ちゃん…いざなう見ていい?」みたいな。特にハウズいざなうは死ぬほど見た。本当に死ぬほど見た。特に特典をバカほど見た。「円柱?円柱?電柱?」「えっお前電柱持ってんの?」のくだりは完コピするくらいには好きだったし新幹線の車内販売のお姉さんにおしぼりもらってうざがらみするニノとか楽屋からうざダンスするニノとか移動中の車内でかくれんぼする嵐とか「こんばんは、にのみーです!🤟」みたいなニノとか焼肉弁当食べる潤くんに対する「まつもっさぁ〜ん」の大野さんとかもう死ぬほど見たし死ぬほど真似した。なんかほぼニノしかいない。あのときの私はニノがツボだったんだよね。ビデオだったら擦り切れてるわ。

 

何週も放送遅れてたけどD・Gの嵐も楽しかったなあ。廃墟ロケとかめちゃくちゃ面白かったよね、うん10年前?のコーラは飲めるのにうん10年間洗ってないコップで飲んだことに気付いて慌てて口拭きまくる大野さん大爆笑しすぎて忘れられない。あと目黒兄やん元気?ババ子も元気かなあ。うだうだ嵐またやってほしいな。

 

でもだんだん好きを拗らせていったときもあった。子どもながらにめんどくさいオタクだった。コンサート映像見るたびに、こんなに好きなのにどうしてコンサート行けないんだろう…って本気で悩んでたときもあった。小さい時に離婚して仕事しながら育ててくれてる母親にFC入りたいなんて言えなくてコンサートなかなか行けなかったんだよね。

黄金期を通ってきた姉が羨ましくてひねくれたときもあった。「私はお姉ちゃんよりも嵐のことを知らないから…」みたいな。情報収集の仕方もよく分からなかったし。なんとまあめんどうなオタクであり妹だこと。コンサートだってファンクラブ入れるようになれば絶対ではないけど行けるようになるし、新規も古参も時間が経てばどうでもよくなってくるものだけど、あのときの私には大問題だった。

「潤担なら〇〇しろよ〜!」みたいな冗談を姉からよく言われてたけどそれが苦しかったとこもある。自分よりも歴が長いオタクに昔話を聞いてありがたいけど自分の知らない部分がいっぱいでちょっと寂しくなる…みたいなありがちな感情をいつも抱いてたから。この時期の私のこと、こじらせオタク期って言おうかな。

 

しかも拗らせすぎて少し離れたときもある。好きすぎて。ちょうどそれが10周年前後だったからすごい後悔した。しっかり目に焼き付けておけばよかったって。今の私が持つ推せる時に推しとけ精神はそこからきてる。今しかない瞬間を見逃すな的な。

 

でも人生のしんどい時を支えてくれたのも嵐だし、唯一無二の大親友に出逢わせてくれたのも嵐だった。

 

小学校4年生のとき、友達とうまくいかなくて一人ぼっちだったとき。ちょうどGの嵐でファイトソングが出来上がったときで。憂鬱な気持ちで学校に行ってランドセル開けたら見覚えのない手紙が入ってて。中見たらお姉ちゃんからで。手紙の内容はファイトソングの歌詞だった。急いでトイレに駆け込んで、こっそり泣いた。嫌なことがあったら絶対に嵐を聴いてた。

 

中学ではソフトテニス部に入ったけど、なかなか強くならなくて。試合でも負け続けたけど、試合前日の夜には嵐の応援歌という応援歌を片っ端から聴いて元気もらって。公式試合で一回だけ勝てたのは今でもいい思い出。あと中学最後の公式試合で一回も勝てずに終わって、ペア組んでた相方と試合会場の隅〜の方で体操座りして何も喋らずしょんぼり座ってたのもいい思い出。(これは余談)

 

入試の前日は必ずサクラ咲け聴いてた。スピーカー大音量で狂ったように踊りまくってストレス発散してから本番臨んでた(笑)ありがちだけど、受験前はやっぱりこれが1番応援歌になってた。

そうやって頑張って入った高校で、同じ時期くらいから嵐を好きだった二宮担の友達と出逢って。嵐のことを昔のこと含めたくさん話せる友達がいる楽しさを味わって。そこからお金貯めてファンクラブにも入ったし、その友達に初めてコンサートにも連れて行ってもらったんだよね。むしろこの友達と出会わなかったらひねくれたままでもしかしたらオタクやめてたかもしれない。その友達と3年間ずっと同じクラスで出席番号が必ず前後だったのも結構運命だと思う。その友達とは今でも連絡取り合ってるし福岡に遊びにきてくれて遊んだりもする。

 

人生の節目節目で支えてくれた嵐には感謝しかない。感謝してもしきれないくらい。

嵐は必ず「この4人と出会えてよかった。5人で嵐でよかった」って言うけどそれはオタク側が死ぬほど伝えたい言葉でもある。たぶん伝わってるけど。

 

5×20の話になるけど、ネタバレしないように総括すると、嵐の嵐による嵐についての惚気をめちゃめちゃ聞かされたコンサートだったなという印象。(これはめちゃくちゃ褒めています)たくさん惚気てもらってオタクはもう胸もお腹もいっぱいよ!(?)

本当に嵐は嵐のことが大好きだし大切にしてるんだなあと再認識したコンサートだった。ここ数年、アイドルに永遠なんてないんだって嫌でも知らされた世の中で、変わらず5人でいてくれることがこんなにも尊いんだと身にしみてわかったから余計に嵐も嵐でいられる今を噛み締めてるんじゃないかなと思ったのが私の印象。

ファンがいたからこそというのももちろん、それ以上にこの5人だったからこそこの場所に立ててる、そういう話をする嵐が嵐らしくてもうめちゃくちゃ好きだった。急に語彙力喪失してごめん。ファンがどれだけ応援してもどうにもならない現実があるってこと、目の当たりにしてきたからこその話。自分がその立場に置かれたら、本当に無力なんだろうなあと思う。潤くんがもし、万が一、億が一ずっと言ってる裏方に回りたいっていう話が現実になってしまったら。表にもう出てこないとなってしまったら、私は受け入れられるんだろうか。きっと静かに受け止めて本人の意思を尊重することしかできない。嵐が嵐でいてくれることに感謝しながら、今という時間をしっかりと見つめて今の嵐を自分の目に焼き付けておかないとね。

 

ここまで思い出回顧してきてなんだけど、私自身、コンサート自体は目頭熱くなることはあっても涙涙の大号泣になることはなかったんだよね。たぶんそれは、聞き慣れたシングル曲や懐かしの曲たちで思い出を振り返ってるように見せつつ、魅せ方や表現方法をがっつり新しくして嵐がコンサートを見せてくれたからだと思う。懐かしい、あのときこうだったね、ああだったね、って泣かせる前に「嵐すげー!!!!」ってなることが多かった。私は。だから嵐はもう前だけを見てて進み始めてる印象を受けたからか、涙はあまり出なかったんだよな〜。過去を振り返ってたら置いていかれちゃうな。懐かしい曲たちの中で新しい嵐をたくさん見せてくれた。20周年もたぶん本人たちにとっては1つの通過点でしかないんじゃないだろうか。ほんとかっこよかった。

 

嵐のこと、たぶんこれからもずっと先も好きだと思う。人生何あるかわからないけど、推せる時が推しどき!後悔ないように!無理のない範疇で!たくさん応援していきたいと思います!

 

嵐、大好きだーーーーー!!!!!